落語新潟








全関東大学落語研究会総連盟 落語が入らないとどこぞ極道の親睦団体と見粉う泣く子も笑う組織 中心となったのは東大落研 昭和20年代後半 東京の主だった大学落研に呼び掛け 慶応だけは入会せず 東大と意見が合わなかったんでしょうかねぇ〜
あたしの在籍期間(1965〜69)で総会に出席したのは我が大学を含め10校程度 幹事校は法政 その総会で創立時の東大落研メンバーでなぜか教授に収まっていた方に講演願う 当時の苦労話を まず人呼んでと言うより自ら呼んだ略称「全落連」 ゴロが全学連と似過ぎとして全学連から殴り込みを掛けられた 「ふざけるな!」「いい加減にしろ」「名称を変えろ!」シャレの解らない連中なんですねぇ〜 勿論連盟としては重々承知の助の確信犯 名称を変更するまで部室に居座られる 反社の脅しより怖い だからと言って「はいそうですか」とはイカのキンタ〜(うしろにまを付けないで下さい) 「連盟として東大一存では(一応考えてるフリ)後日回答致します」お引き取り願う













 各校に聴き廻るほどのことはないと東大落研 その程度の知恵は持ち合わせていた そう!読み方を英語に 全関東・・・の全をオールと読ませることで全学連へ丁重なる回答に出向く いんぎん無礼とはこのこと

因みにあたしの現役時代の全学連(代々木系)の委員長は我が大学の 全学集会でスーツにネクタイ姿で登壇 「学生のクセしてそのナリ(着姿)は何だ!」「学ラン着て来い!」さんざヤジったものでした やなヤローでしたねぇ〜 その東大教授をお連れした東大生達 当時アイビールックや青学にリードされた渋カジファッションなのに学ランを着込んできた どこからともなくそこかしこからざわめきから聞こえる声で「そんなにいちょうのバッチをひけらかしたいのか!」「着る物持ってねぇのか」「貧乏人!」イジメですいやねたみし(ひ)がみです 入りたくても入れてもらえなかった連中の恨みが籠もっていた 東大がなんだ そうだそうだ あたしは言ってません で講演のあとの総会 連盟の鉄の掟の厳守 1新作落語は演らない2上方落語は演らない3出前落語に行っても決っして報酬は受け取らない 学生としての本分を自覚すること 総会の議題はこの確認のみ それ以外はなし 1と2はよろしいんですが3となるとねぇ〜 各校裏に回ると口を揃え「掟は破るためにある」「今どきねぇ〜」「そんなとこあんの?」我が落研はと云うと形ばかりの謝辞のセレモニーのあと「盛大に行こう!盛大に?」を合い言葉にその金で皆で夕食の町中華へいつもそれでした で総会に戻りますが皆さん気はそぞろでした 各所から「早くやれ〜」どっかで聞いたような・・・ストリップ小屋の客席から挙がる声かと Agendaの最後は全員最大の楽しみにしている「出入り」つまり合同コンパ 法政から歩いて直ぐの神楽坂 大衆酒場の大広間で満を持しての10数校 東大生達はいませんでしたなぜか「どんなことするの?」 オリジナルY歌合戦「なにそれ!」Y歌のレベルがハンパでない各校が勝負!「そんなことして何になるの?」箔がつくの!「それがどうしたっていうの?」『あのねぇ〜人(シト)が気分良く話しているときにだよ・・・』
 続けます それでは結果を発表します第3位ワセダのクリスマスが近づいたぁ〜で始まるジングルベル2位学習院の有楽町で会いましょう 以外と味わい深い歌詞です 1位我が落研の・・・元歌と歌詞は? 余りにもシド(酷)くて発表はできません 学生のやることですから おめえじゃねえか 東大のオリジナルY歌教えて下さい 小噺を「弘法大師に亭主を馬にされてしまった女房が『どうか亭主を元の人間に戻して下さい』と頼みこみかなえられると『あっ!そこだけはそのままに』
今でも各大学落研OB連から評価を受けている
 体育会系より厳しく「1年違えば虫ケラ同然」の世界 1年ジャリ2年奴隷3年天皇4年神様の団塊の世代 金源亭馬けんでございます 金源亭の「源」を「玉」と替えてはならぬ 馬けんの「けん」も「並」とする程立派とは 古典落語をより面白く!をモットーにして トーシローではありませんのでアゴ足枕が付いて祝儀は?円

連絡先は 090-4911-5544

指導も致します 故六代目円楽(青学落研)が初心者に「黄色い着物の人から教わってはいけませんよ」下手な方からの指導はお止しなさい 段階的に確立された指導法をマニュアル化してます 面白さを追求した漫才作家もやってます

小噺その2 林家木久扇が師匠の先代正蔵師に「師匠 どうして餅ってカビが生えるんですかね?」「バァ・カ・ヤ・ろ・う・はぁや・く・喰わねぇ〜かァらだ!」 NHK紅白で大トリと言いますがそんなことばはありません 寄席でトリ(取り)と言うのは最終演者を指します その日の木戸銭を席亭3割残りを「取り」と云うところから来ました 前座二つ目真打ちその他の演者に応分に 翌日に紙に包んで配分する役をトリ(取り)と呼びます この前三宅裕二(明治落研)が徳さんの番組でこれを話題にしてましたが・・・ これだけは言いたい 和食(洋食でも)で手皿をしてはいけません そんなお作法はありません お上品な仕草だと思っているのでしょうか?お育ちが もし手にこぼれた食べ物や汁を隣りの人の衣服になすりつけるのですか 皿や椀は手に持ちます 洋食ではテーブルに胸を押しつけこぼさないようにして そのあとコーシーでも飲んで 自称「全越三落語研究会総連盟」総師 越山会とは違います 今のところ会員はン名 御意見ありましたなら・・・






















『是』(部屋に掲載)

人間バカになるときにバカに成れないほどバカではない

『落研十訓』

一 (麻雀でノミ上がりばかりする奴

へ)

ああまでして勝ちたいのかねぇ〜 恥てぇものを・・・ やだやだ 成りたかないねぇ〜

二 出世は学歴ではない! 社会に出てからが勝負!

 (その後 とき我れに利非ず 常に利非ずして 我れ落語者なり 己を知る 遅い! IQ値180よ何処へ行くう〜 ここに居るよ)

三 麻雀の借りは麻雀で返せ! 体で払うことは相ならぬ! 誰も所望せぬ故 女子部員に対してそれを云う輩がいるが・・・

四 女子部員との麻雀を禁ずる 胸元を大きく開けたり スカートをたぐり上げ必ず女子は色仕掛けでくる 負けること必至 その体で払うことは構わぬ が・・・・・・

五 コンパで陰から特定されぬようささやき声で女子部員に対し「脱げ!」と云ってはならぬ!

 落研に入部してくる女子は限度を知らぬ故

六 落研は学内の吹き溜まりと名が知られ どこのサークルからも相手にされない落ちこぼれの寄ったかり集団と自覚すべし

七 社会に出てその一芸をもってタイコ持ちになり ただ酒を呑むこともってのほか!

他場宴会に入るを禁ず

八 エロ映画館に入場した者を呼び出す際 国元の住所 出身校 落研であることを告げよ

九 この台詞を覚えること これも一芸 「毎度 にぎにぎしきのご来場 まことにありがとうございま〜す なお〜お客様におん断わり申し上げま〜す その筋のお達っしにより 踊り娘の衣装又は肌には決っして決っして触らぬよう 並んらびに〜写真撮影などは絶対に絶対に為さらぬようーお願い申し上げま〜す 『早くやれ〜』(司会者にみかんがぶつけられ)

それではご用意できましたでしょうか?ムンズックスンタゥート」タンタカタッタ―タカタッター

 ある踊子の追っかけをやり ファーのコートをはおったその娘と寒空の下 屋台のおでん屋で肩を寄せ合い・・・絵になりました その後一座の準職員(人手不足・常に)となり照明係に スポットライトを一点(?)集中させた為『熱いわねぇ〜!』と怒鳴られ・・・司会を務める迄に出世・昇格?に ここまでは世の中学歴ではない実力・・・だったんですがねぇ〜 今考えると天職だったのかも・・・ 好きこそモノの上手なれ 嫌いじゃないねぇ〜

 いえ素養があったのです

手入れ厳しく立川から八王子〜浦安に飛びそして大宮へと転々とする 人手不足の為ときにはナイスバディーの浜っ娘まで出演願う リズム感がなくてねぇ〜 枯木も山のにぎわいでもなくそれはそれで突っ立っているだけで初々しくて以外と好評でして ドサ廻りも忙しくも変化がありやりがいが 命を張った学生運動に比べ 鬼の四桟と対峠? 鈍く銀色に光を放つ投光器に照らされジュラルミンの盾

 止めてくれるな踊り娘よ 背中に顔を埋もれさせ 行かねばならぬこの大事

 大義名分何もなく(ノンポリ・ノンセクト) 笑顔で迎えてくれた一座の皆さん 泣きながら顔をこすりつけていた踊り娘よ 有難う・・・


 落語者の我が社訓

一 弱い人間ほど人の上に立ちたがる

二 顔相を観て 相手の心を見抜け!

三 戦場(常在)に危機が迫ったときの瞬間の判断力を養え! いつの世にも伝える

四 迷ったならば自然に学べ 未来(自分の将来を含め)は歴史に学べ 落語は拙(馬けん)に学べ

五 『物のあはれ』を知り過ぎるほどに知れ これなくして『人はこころもなからまし』 人間性を鍛えよ

 聞いたふう 耳学問をハナに掛け

 何とでも言わっし

 経営者にとっておきの話

 1985年幸之助さんの一番番頭であった松下電工の名誉会長丹羽正治氏に会見して感動した話を

 幸之助さんの人柄を述べられたあと 昭和30年頃関西の中小企業主を前にして講演の際『会社経営に欠かせないものの1つが月次決算です 一年に一度の決算では会社の状況が把握できない 皆さんも月次決算をしなさい』そのとき一人の中小企業主が『幸之助はんのような立派な企業はそれができまっけど ワテらのような小さな会社では無理ですわ』すると幸之助さんイスからスックと立ち上がり演壇へ行き一言『やる気でんな!』と言って背を向けて戻る そのときの受講者が後日 幸之助さんを尋ねてきて『あのときいわれた((教え))を忠実に実行してマアマアの会社になりました』と礼を述べた その人は倒産した会社の→元社員が創った企業 京都セラミックの代表稲盛和夫さんでした



Copyright Rakugoniigata All rightsreserved.